久しぶりに死にたくなった時の感想文。
新年明けたので更新してみます。
たまにみるとニヤッとしてしまう写真。
隠し撮り大好き。
先日、解決したい現在の問題の為に欲張ってひとりで過去を掘り返しすぎて
「もう死んでしまいたい」モードになって1日涙が止まらなくなってしまいました。
尊敬している方から
思い出したくないから隠れてる場合もあるし
過去を都合の良く変えちゃってる場合もあるから、と言われて
今度からは無茶はやめようと誓いました。
父親との関わりの中で、私が自覚している「思い出したくないから隠しとこ」っていうのもあるしね。
無茶した時の身体感覚は現在との繋がりを感じられたので
エモーションフリーで解放したらスッキリできました。結果オーライ。
黒歴史っぽい書き方になっちゃうけれども
高校生活後半、毎日
「死んでしまいたい」ばかり考えてました。
まあ身体が病気で自由もなかったので、自然と言えば自然。
そしてそれが影響でストレートでの大学進学が出来ず浪人。
そこから「死にたい」私と「抜け出してやる」とファイトしてる私にわかれます。
50:50くらいの割合です。
もはや、「死にたい」という気持ちを抹消したいが如く猛勉強。
大学入ってからも、ひたすら勉強してました。
半同棲してた彼氏がいても、黙々勉強。
試験期間でもなくても、かわりなく。
行動原理としてはひとつじゃないけれど
「死にたい」「ひとりで生きられるようになりたい」と真反対のエネルギーで疲れはててたのか、身体は不定愁訴ばかり。
先日の「死んでしまいたい」モードでその時の状況を久々に感覚的にも思いだし
いかに重々しいエネルギーの中で動いていたのか痛感。
身体、おかしくなってたのも当然だなーーー
と思いましたよ。
だんだん薄れてたとは言え、つい最近
今の職場に転職してからスカッとなくなってたので忘れてた感覚(笑)
「何がなんでもひとりで生きられるように」
「誰かに甘えるのなんて言語道断!」
みたいな強迫観念的なものもあるにはある。
でも、重たい空気感と共に変化はしている。
またあんな風に地に落ちることもあるのかな、と不安にもなったりするけれども
人と深い関わりを絶つような勉強勉強星人じゃなく
誰かとゆったりした時間を過ごしたいとか
そういうのを大切にできる自分になりたいとか
支えてくれる人達や、今の私と深く関わってくれている恋人と
もっと楽しく過ごしていきたいから変わりたいっていう
前よりも私の中に誰かがちゃんといてくれてるなぁと気付けたので。
1日死にたくなった甲斐があったなぁと思いました。笑
完全に作文。